中島みゆきの歌にヘッドライトテールライトという中々良い歌があります。特に3番の歌詞が印象的でした。
いく先を照らすのは未だ見果てぬ夢
遥か後ろを照らすのはあどけない夢 ヘッドライトテールライト旅はまだ終わらない ヘッドライトテールライト旅はまだ終わらない |
人生は旅
峠を越えた旅
人の人生はよく旅になぞらえます。一枚のセピア色に染まった家族写真に写っている懐かしい少年時代。木綿の半ズボンと汚れたシャツ姿少しはにかんだ顔。人は誰でもそんな少年時代にぼんやりとした未来に対する一抹の不安と共にあどけない夢を持っていました。
しかし成長していく過程で何度も困難と挫折とほんの少しの小さな喜びを胸に刻みながら今ある現実を認め、諦めを繰り返しながら生きていきます。少年時代のあどけない夢は瞬く間に遠ざかり、一日一日を真面目にコツコツと家族との慎ましくも安定した生活に流されながら世間の片隅に埋もれていきます。
会社の中堅管理職に漸く上り詰め宇宙人みたいな部下から時代遅れの課長だと陰口を叩かれ、家に疲労困憊して帰ってもすでに寝入ってしまっている奥さんのお帰りなさいの一言もなく, あんなに可愛かった子供も部屋に閉じこもって-お父さんウザったいよ-なんて言われてしまいます。
こんな時すでに旅は峠を越えて下り坂に向かっている事に初めて気付く事になります。そんなやるせない初老に差し掛かった男がある日公園のベンチに座り大きな青い空と白い雲を見上げながら心の奥底にあった少年時代のあどけない夢をふと思い出します。
旅はまだ終わっていない
俺にはまだ夢の残り火が心に宿っている、まだやり遂げていない事があると。これがキッカケとなりその残り火に引火し強いエネルギーが忽然とむくむくと湧き上がり下を向いていた男は前を向き又旅の坂道を力強く登りはじめていくのです。そうだ旅はまだ終わっていないのだと。
今年話題になったスーパーボランティア尾畠春夫さん。
少年時代に苦労した尾畠さんは魚屋を開業する事を夢見ます。そして更に(俺は50年働く。そして65歳になったらやりたい事をしようと)心に決めます。魚屋を開店し妻を娶り子供も成長して苦難の連続で石ころだらけの急坂の旅もようやく平穏でなだらかな道のりとなり旅も峠を越え終わりかけた65歳になり突然魚屋を閉じて少年時代に思い描いていた新しい旅に向かいました。
心の信条としている言葉(かけた情けは水に流せ。受けた恩は石に刻め)から見返りを求めないボランティアの活動に没頭していきます。トレードマークの赤いつなぎの作業着を着て各地の被災地で無償のボランティア活動を黙々こなしている尾畠さんの旅は未だ終わりません。
永遠の三浦雄一郎さん
86歳になって又新たな挑戦を続ける三浦雄一郎さんの旅は永遠に続きそうです。三浦さんは屋根の雪下ろしをする時に屋根からスキーを滑っていた少年時代を雪国で過ごしました。少年時代のDNAは冒険家として成長し富士山での直滑降、世界7大陸最高峰からの直滑降等偉大な挑戦を成し遂げました。
すべてをやり遂げ世間の名声も得た彼も人生の峠を迎えた50台半ばを過ぎて体力と気力を失いかつての頑強な体格と精悍な顔つきの三浦雄一郎からは想像できないようなメタボ。体脂肪率45%という状態に変貌していました。65歳になったある時彼の息子がかつての自分と同じように大きな冒険のチャレンジをしている事を知ります。
これが彼のあどけない夢に再び火をつけ又挑戦の旅をはじめたのです。体力改造と気力の充実を図ります。両足首に5キロ、背中に20キロを背負い毎日トレーニングに励みます。彼の旅は再び世界最高峰のエベレストを目指す事でした。80歳で登頂、更に86歳で南米大陸の最高峰アコンカグアを目指す事になります。又三浦雄一郎の旅は終わらないのです。
創作エネルギーの化身、葛飾北斎
死の直前まで壮絶なまでのエネルギーと情念をもって走り続けた稀有の絵師葛飾北斎は富嶽三十六景を世に送り出しその情念を87歳の死の直前まで保ち続けフランスの印象派画家やオランダのゴッホにも多大な影響を与えた日本人として最も世界に名声を誇る偉大な絵師となりました。1988年にアメリカのライフ誌が企画した(この1000年で偉大な業績を上げた世界の人物100人)という企画で日本人ではただ一人選出されています。
北斎は14歳で版木作りの職人となりましたが絵師に成りたいという夢を捨てきれず当時の人気浮世絵師の門を叩きます。ご多分に漏れず売れない絵師として長い不遇な時を過ごしていました。貧乏絵師北斎は自分の志を曲げ自分の書きたい絵とはかけ離れた人気取りだけの美人画、役者絵等手あたり次第に書きながら貧乏生活を凌いでいました。
それでも初志を曲げないエネルギーに満ち溢れた北斎はあらゆるジャンルに挑戦していきます。人生の峠を迎えた50歳を過ぎて日本各地の旅に出ます。そして運命的な出会いを果たすのです。富士山を目の当たりにしたのです。
見る場所、角度、季節、大自然との調和、人々とのつながり等で美しくも妖しく変貌する富士の霊峰にあたかも霊感を感じたかのような感銘を受けたのです。ここから北斎の終わりのない旅が始まりました。
あらゆる角度からの富士と人々の生活を描いた富嶽三十六景はこうして彼が74歳になって完成したのです。あの有名な富嶽三十六景神奈川沖浪裏が生まれた瞬間でした。彼の情念はとどまる事はなく歩き続けたのですがついに病の床に伏し87歳で死を覚悟した北斎は(仏様が後10年、いや5年でも私に生きる事を許してくれれば本当の絵をかく事が出来る)と言ってこの世を去りました。
北斎の夢と情念はその後世界に向け旅に出て駆け巡りフランスでジャポニズムの波を作り、印象派のモネやゴッホなどに影響を与えその情念に新たな命を与えながら生き続けていきました。
あどけない夢をあきらめず人生の峠に差し掛かった時に何かのキッカケで残り火に引火し終わりのない旅を続けて来た人々の話をしてきました。
自分は何も頑張ってこなかったと思う方へ
ごく平凡な日々を過ごし時間だけがとりとめもなく過ぎていくような人生を送っている自分にこんな事が出来るのか自問してみると自信をもって出来るといえる人はおそらく中々いないでしょう。しかし成し遂げたい事、夢とか目標、世人々に何かの役に立ちたい等チャレンジは千差万別でその価値に大小はなく変わる事はないと思います。
そして天はその機会は誰にでも公平に与えてくれているはずです。又何時やる気スイッチが入るのかもこれまた千差万別でしょう。将棋の藤井七段は若干17歳でやる気スイッチが入り山の7合目まで達しています。あの大器晩成型の徳川家康は61歳で江戸幕府を開きました。
おそらく人には一生に一度くらいは何かに向かってやる気スイッチが入る事を許してもらっていると思います。必ずその時は巡ってくると信じて大空に向かって叫びましょう。(時はくる。俺には出来る、これこそが俺の望んだ道だと。)そんな時人は不思議に強いエネルギーとゆるぎない情念が心から湧き上がってくるのを感じ何かに立ち向かっていける事になるのでしょう。そしてそれが新たな旅たちと未だ終わらない旅となるのです。
三原一郎