『集中と選択』言葉の順番を変えると違った世界が見える

今の世の中は情報にあふれています。あれをしたほうが良い、これをしたほうが良い。。。

色々やるべきことが多すぎて何から手をつければよいかわからない・・・経験がまだ少なく判断軸がないときは余計に迷ってしまいます。

そんなときはたった少しのコツで一気に視界が拓ける。今回はそんなお話です。

 

経営危機に瀕したある大会社の経営会議

経営危機に陥ったある大企業の経営会議にて。緊張感あふれる空気の中、担当役員、事業部長、企画管理部長、経理財務部長等全員に向けて、社長がメッセージを伝えます。

我が社は今存亡の危機に瀕しています。

これまで右肩上がりの経済市況の中でコアのビジネスを中心として多角化に邁進し事業の拡大を図ってきたが、ここ数年の環境激変に伴い一部の事業が変化に追随する事が出来ず不採算事業に陥り、この影響が徐々に会社全体の利益構造に悪影響を与えはじめている。

従って会社は限られた経営資源を有効にかつ効率的に配分する必要に迫られており、会社にとって必要であれば不採算事業又は不採算地域からの撤退及び構造改革を断行する事もあり得ます。会社は今集中と選択という事態に迫られています。

ここで皆さんにお願いしたい。会社にとっての集中領域即ち、どの事業又は地域に限りある経営資源を集中投下すべきか1カ月間でまとめて報告してもらいたい。

 

困り果てた役員、部長さん連中

社長への報告を要請された役員、部長さん連中は困り果て如何に報告すべきか頭を抱えてしまいます。多角化を図った大企業では当然役員は一部の事業や担当地域の担当役員として責任をもっています。

当然ながら事業部長は事業の総責任者であり地域統括本部長は地域の販売、製造に関わる責任と権限を有しています。誰も自分の事業や地域が集中領域から除外される事等口が裂けても報告しません。

今は利益を上げていないが過去これだけ会社に貢献してきた。工場や設備投資を行い既に多くの人材を抱え社会的責任を持っている。事業の採算性を見直し改善を図る。事業の将来性は未だある。など部下を総動員して膨大な時間と労力をかけ報告資料を作成した。

不採算の理由が売り上げの急激な落ち込みで肥大化した工場、設備、人員のコストをカバーする事が出来ない事を十分に知りながらも必死に報告資料を加工、修正、改ざん。

一方現在利益を上げている事業、地域はとりあえず現状の数字を記し如何に事業が会社に貢献しているかをアピールし余分な事は省略する。後に議論を生む事業の将来性や今後の環境変化等に関して敢えて触れずに事なかれ主義に徹する。

中立で客観的な立場であるはずの経理財務部は全体の事業構造、将来性への知見を持たない、自信もない、または現場の状況の把握もできていない為単に数字を縦にしたり、横にしたりして工夫を凝らしたかのような報告書を作成。

又本来は会社の中枢を担う企画管理部も部長の過去の出身事業部署、地域、上下関係等の義理人情と慣れ合いの世界で忖度の極みと化し結論を先送りし、ありきたりの資料を作成。何とかその場を凌ぐ。

会議は踊る。結局当面選択をしないという選択。

そして遂に運命の日の経営会議はやってきました。膨大なプレゼン資料を腕に抱えて皆緊張の面持ちで会議場に入って来ました。2-3時間をかけて各担当からのプレゼンを終えて議論に入ってもだれ一人積極的に発言する人がいません。

当然他部門に対して撤退すべきという勇気のある人はいませんが、自身の部署が議論に上る事を意識的に回避したいという思惑も働いているのです。又中立の立場であるはずの部門からも重大な責任を取りたくない、いずれ自分もその部署に替わるかもしれない等、実に情けない思惑が働いてダンマリを決め込んでしまいます。

会議はダラダラと続行しますが、ようやく疲れが見え始めた頃社長の恒例の決め台詞で会議はようやく終了します。

よし。良く分かった。今日は議論を尽くしたが皆良く資料をまとめてくれた。継続して議論を行うので次の機会までにさらに精査して資料をまとめてください。

集中と選択を会社の基本方針として掲げ活動してきましたが集中領域を議論の末何も選択しない選択という実に愚昧な結果となりました。

選択と集中の順番を変えるとどうなるか。

そもそも集中と選択という使い勝手の良い日本語は簡単に言えば優先順位を決めて全ての力を集中するという事であり最終的に選択をすることに意義があるのですが選択肢があり過ぎると人は迷いを生じます。選択肢を細かく分析すると更に選択肢は広がり収集がつかなくなり混乱の迷路にはまり込みます。

個人レベルでは実は人は小さな集中と選択を繰り返しながら生きています。時には人も大きな決断を迫られる事態が生じます。結婚、離婚、就職、転職、夢の持ち家の購入。引っ越し、子供の教育、人間関係等で選択という決断を強いられる転機が訪れますが、その過程であらゆる選択肢の中から優先順位を決めて必要に迫られながら自らの意志と責任で選択しています。

そうです集中と選択ではなく順番を変え、まず選択してから全ての力を集中するということを人は自然で当然の行為として繰り返しながら生きています。その中でも結婚は人の人生の中でも最も重大な選択となります。

人柄がよい、見た目が格好いい、背が高い、有名大学卒業、大企業に勤めている、家系が良い、いかにも健康そう、貯金が1000万以上ある、持ち家がある、趣味が一緒、気さくで話しやすい、長男、長女でないので気楽。一緒にいるだけで安心する、この人なら自分らしく振舞える等

あらゆる選択肢の中で優先順位を決めて最後に自分の責任で選択をします。関係者を集めて何度も会議をするなんて事はしないのです。誰もが結局は自分の判断でこの人と一緒に暮らしたいとありのままに自然に選択し結ばれていきます。

選択したので妻又は夫に全てをかけて集中せざるを得ない状態となるのです。

集中しているので多少の不満も我慢しながら20年30年と幾年月を重ね白髪頭になるまで多少の感謝の念も抱きつつ人生を共にしていきます。

(中には10年後に集中が途切れて浮気そして離婚、又は定年後に愛想を尽かされて離縁という憂き目に会うご仁もあるようですが。)

それでも選択、決断を逡巡する理由

選択は決断を伴い、決断は実行に対する努力と責任を伴う事になります。

こんな当たり前の事も眼前に迫った多くの選択肢の前で人は選択を躊躇する事があります。

  1. 八方美人的に全ての関係者にいい顔をしたい。(八方美人的過剰忖度症)
  2. 失敗を恐れる。(失敗過剰恐怖症)
  3. いま決めなくてもいずれ環境が味方してくれる(自己責任回避症)
  4. 決断した後に起きる大きな労力と責任に自信を持てない(人生逃避症)
  5. 誰かが助けてくれる(過剰他人依存症)
  6. 何も苦労してまで泥をかぶりたくない(現状安定停滞症)
  7. あらゆる問題、場合でも常に正しい判断をすべきと生真面目に考えすぎる(真実潔癖症)
  8. 過剰情報を捨てられない、単一の情報に執着する。(断捨離不能症)

順番を変えると別の世界が広がる(弱い自分からの脱却)

こんな病状にはまっている人はもう一度(何に集中するかを十分に考えてから選択する)から順番を変えて(思い切って選択してから全ての力を集中しよう)と何度も声に出してエネルギーを蓄え一歩踏み出してみれば思ってもみなかった全く別の風景と世界が眼前に広がってくるかもしれません。

スポーツ選手が大怪我をしてプロの道を諦めるという選択と決断をした後に起業して成功を収めた、都会の生活にストレスで心の病に陥った人が貧しいながらも平穏な田舎暮らしを決断して心の安寧を取り戻した。定年後に行き場を失って孤独に陥った人が地域のボランティア―活動で生き返ったように活力を取り戻した。ギャンブルにのめり込んだ男がそれでも許してくれた妻の優しさと愛情に目覚め決別して職人としてトイレ掃除の下働きから再出発した。

勿論こんな決断をした人のその後が必ずしも平穏に全てが思い描いたように事が運ぶ事にはならないでしょう。茨の道が待っています。しかし決断をして全力を集中したという経験は少なくとも失敗過剰恐怖症、過剰他人依存症、現状安定停滞症、人生逃避症から脱し何時でもやり直しが効く強い体質と精神を作り上げた事になります。

修正能力と七転び八起きという不屈の精神が備わっていきます。そして何よりも過去の弱い自分には戻らない、停滞よりより挑戦、責任から逃げない、失敗を恐れない、選択、決断してとりあえず一歩進めるという生き方そのものが他人からの信頼を得て多くのサポートを得る事になります。一人では為し得なかった事が彼の生き方に共感を得た人々のサポートの輪が広がって行きます。

彼はやはりあの時の弱かった自分からあえて脱して、まず選択した事、そして全力を集中した事に何の悔いも残らなかったと振り返る事が出来るでしょう。

一時的な成功体験が思い上がりと傲慢でとんでもない悪夢を生む

しかし強い決断と成功にも誤解と過信によってネガティブな世界がひろがり思いもかけない落とし穴にはまり込む事もあります。

あらゆる選択肢から選択し強い決断、全てをかけ集中したことで一時的な成功を収める事により自信も生まれ人々からの称賛と信頼を得る事が出来ます。日の当たる道を歩めなかった過去の自分、弱かった自分に称賛の嵐、甘い蜜に群がる虫のように人がある思惑をもって集まってきます。ちやほやされて有頂天になってしまいます。

誰も彼を止められません。彼の決断は徐々に独りよがりで傲慢となり空回りしていきます。修正能力が欠落し、後戻りもできなくなりました。そして悪夢が忍び寄り、気が付けば誰もいなくなってしまいました。

誰もいなくなった孤独な部屋で彼は何度もこれまでの人生を振り返っていました。一度は弱かった自分を克服し軌道に乗り始めた自分の人生で何が足りなかったのか。そして漸く気が付きました。この一時的な成功は決して自分一人の力ではなく、人々のサポートがあったという自覚と感謝さらには人々の想いをくみ取れず、優しい思いやりが出来ていなかったと。強い決断力と同時に共に戦う人々への感謝、人への優しさ、思いやり、心の広さこそが強い人間の証であるのだと。何も決断できなかった弱い自分から本当の意味で強い自分には戻れなかったと。

三原一郎