6識とリーダーシップ

編集者感想

リーダーとは何たるかを改めて考えさせられる1記事です。リーダーシップを「識」という言葉に当てはめて6つの段階で定義しています。自分は今どの位置にいるでしょうか。その次のステップは何になっているでしょうか。

もしくはあなたの部下は今どの位置にいるでしょうか。マネジメント層には必ず読んでいただきたいエッセイです。

 

 

識という字の熟語は沢山あり、識の言葉から少し想いを巡らしてみます。

 

まず思い浮かぶ「識」

学校での無味乾燥な詰込み授業、スマホでの指の検索で簡単に知識は得られます。あの人は知識が豊かでクイズ番組にでたら、まず一番になるでしょうね、と言う褒め言葉は必ずしも褒め言葉でなく、どこかその言葉の裏側に知識を自慢しているが、実は浅知恵で、いざ勝負というときには引いてしまうような頭でっかちで、行動を伴わないテレビでよく見かける多少軽薄なコメンテーターの様なひ弱なイメージがあります。

 

物事を把握する「識」

物事の実態を把握する事。山国で育った人が初めて海を見てその大きさに感動し海の向こうに別の国がある事を認識したり、又外国に長く滞在すると、日本のすばらしさを実感します。確かに日本の治安や衛生状況、晴れた日の澄み切った空の青さ等を心から認識する事が出来ます。好奇心旺盛な人が求めていたものを発見し認識した心からの感動。何も考えずにボヤット、生きている人間には気が付かない事でも感性を持ち好奇心のある人には同じ対象物でも認識の違いが明確になり見える景色が全く違ってきます。

認識は単なる知識の積み上げでなく深く勇気ある行動によって認識する事による輝かしい感動、心からの共感や納得という感性の作用により心の奥底に深く残り価値ある経験として後々の活動や生き方ってに活かされてきます。

 

行動につなげる「識」

人は知識の積み上げや心の作用による認識を自己の更なる価値ある行動につなげていく必要がありますが、その為には自律的な強い第3の識、つまり意識が不可欠です。意識は人の行動の出発点です。最近よく使われる言葉に自分事の意識つまり当事者意識という事です。全て他人事、責任回避、低い危機意識、言い訳に終始した意識を伴わない人や組織は大海に浮遊する舵を失った舟のようで沈没寸前で危険極まりないものです。意識という言葉は更に意志という言葉に昇華して行きます。意志あるところに道あり。Where there is a will、there is a way です。

 

リーダーシップに必要な「識」

さて人の意識ある行動や活動又リーダーシップには更なる識が必要となります。全ての行動やリーダーシップには正しい判断力を伴います。判断力が遅い、鈍い、曖昧、なんていうリーダーの下には誰もつきたくない。

しかし常に的確な判断力を持つ事は全能の神でない限り不可能ですが、少なくも第4の識、つまり見識という識を持った人に対しては多少の信頼を持つ事が出来そうです。見識のある人とは豊富な知識と鋭い感性を伴った行動を伴う認識と経験を積み重ねて懐の深くなった人が物事をデータで分析した上で論理的に判断でき、かつ大きな見地つまり大局的、鳥瞰的に俯瞰した上で判断出来る能力を持った人といえます。

 

本質を見抜き決断するための「識」

しかし見識だけでは的確な判断をする十分条件にはなりません。判断には常に未来の予測を伴うからです。データは単に過去のデータの積み上げであり、現状を過去から推察して大局的分析や把握する事は可能ですが、未来の予測を踏まえて判断する事は本当に難しい事です。企業業績が悪化したトップの会見等で使われる常套句が(全くの想定外の事態が発生しました)という言葉からも予測が困難な事が分かります。しかし世の中には予測困難な事態を打ち破り輝かしい成功を収めた古今東西のリーダーを輩出してきました。彼等を支えた識は何でしょうか。当然の事ながら自立的な強い当事者意識を持ち、見識も持ち合わせていましたがそれに加えて第5、第6の識、つまり眼識と肝識という識を持ち合わせていたのです。

 

眼識とは物事の本質を見抜く力、人の気持ちや行動原理、あるいは将来起こり得る事を見抜く言い換えれば慧眼。

正しい判断の信頼度、又は失敗と成功は常に紙一重です。人は又組織は時に重大な判断や選択を迫られる事態にさらされる事になりますが、1%の可能性を信じて、たじろがず一歩を踏み出し、多くの修羅場を括り抜けた人や組織のみが眼識や慧眼という能力を持てる資格を付与されるのです。さらに家族、友人、上司や部下からの想いもかけなかったサポート受ける寛容で柔軟な心、深い絆が思わぬ化学反応的エネルギーを引き起こす事になります。眼識や慧眼は人の心や行動原理をも見抜く力も兼ね備えている力でしょう。

 

実行するときの「識」

胆識とは不確実な未来に対し肝を据えて起こり得るあらゆる事態を想定し50%まで見えて来た可能性に対し引くか、又は敢えて51%の確率を信じて自らのあらゆる不利益、犠牲をも顧みずその身を投げ出す胆力、肝が据わっている覚悟という事であると思います。

 

たじろがず、いらつかず、諦めず、言い訳をせず、人と比べず、常に前を向き、

大空を見上げていると、これまで積み上げて来た知識、認識、意識、見識、眼識の総合力から思いもかけない気付きと幸運を呼び込んでくれるかもしれません。そんな時こそ物おじせず一歩踏み出し、一歩一歩の道のりの後に必ず頂上を極める事を信じて、人々との絆を信じて一生に一度ぐらいはここぞという時に身を投げ出す覚悟。それが胆力、第6の識つまり胆識なのです。

 

令和2年11月11日

コロナ禍の世の中で。三原一郎

三原一郎