そりゃあ「自分の夢ってなんだっけ?」と思うのは当然。という話

若い世代の方であれば、「あなたの夢はなんですか?」と聞かれることが、度々あったのではないでしょうか。

子供の頃は「将来の夢はなあに?」と先生に聞かれ、就職活動を始めると「将来のビジョンを教えてください」と面接官に聞かれます。

  • 子供の頃の夢を、今も持ち続けている人はどのくらいいるのでしょうか?
  • 夢を聞かれたら、答えられないといけないのでしょうか?
  • 目的なく過ごす日々は、無益なのでしょうか?

今回は、夢の正体について、三原さんに聞いてみました。

編集部より

ひと味違う、大関の夢

スポーツや一芸に秀でた人が大活躍して脚光を浴びるとテレビや週刊誌がこぞって話題にする事があります。彼らが子供時代に抱いていた夢の話です。

今やスーパースターにのし上がった彼らがおそらく子供時代に先生から宿題で書かされ、拙い文字で一所懸命に書いた(私の夢)という文章が度々紹介されます。その中で先日大関に昇進した相撲の貴景勝が小学校6年生の時に書いた一文は夢と志の違いがよくわかる中々興味深い文章でした。

貴景勝は子供らしく20歳で横綱になりたいと純粋な夢を描きます。子供達、いや二十歳を超えた多くの若者が実現できるか分からない憧れや希望をいとも簡単にあっけらかんと自分の夢として語ります。しかしこの少年はちょっと違っていました。

彼は自分が横綱をめざす夢を持つ理由に個人の憧れや希望を超えた強い動機と信念がこの文章から読み取れるのです。文章は要約するとこのように書かれています。

今の相撲界は大麻や八百長事件で人気が落ち更に日本の国技であるにも関わらず日本人力士の横綱がいない。

自分が日本人の横綱になって人気を取り戻しお客さんに喜んでもらう力士になりたい。

又最近のインタビューでは、次のように言っています。

小さい時からあこがれてこの世界に入った。でもそれは心の中で思っていればいい。

今までと変わらず人に教えて貰った事、新たに教えて貰った事をただ実践するだけです。

この少年の言葉は最近の流行で夢の実現の重みを忘れ夢という言葉を乱用し、押し売りしているような現在の風潮に対して爽やかで凛ととした風を吹き込んだように思えます。彼の夢はしっかりと足が地に着いて決して浮ついた一時の夢ではないのです。

  1. 夢は心の中で思う事。
  2. 夢は個人の希望だけでなく実現する事により自分が身を置いた世界がもっと良くなる事。人に喜んでもらえる事。
  3. その為に教えて貰った人に感謝し努力実践を継続する事。

こんな事中年を過ぎた叔父さんにも中々言えませんよね。

然し50歳を過ぎた叔父さん達は自分が子供の頃を思い出してみると親や先生又大人から君の夢は何だ、夢に向かって走って行け。なんて言葉をかけられた記憶は余り無かったのではないでしょうか。

夢はいつからキラキラし始めたのか

夢という言葉に対して日本人が元々抱いていた概念が変わり始めたのは1960年代のアメリカで黒人差別の廃絶を唱えたキング牧師のあの有名な演説があった以降のように記憶しています。

キング牧師は私には夢があると語り始めました。

Even though we face the difficulties of today and tomorrow, I still have a dream.

It is dream deeply rooted in the American dream.

彼が使ったDreamは決して彼の個人的な欲望ではなくアメリカ社会に深く、長く染みついた悪しき差別意識から黒人を解放するという高邁な社会的理念に基いた演説だったのですが、アメリカをこよなく愛していた当時の日本人には演説に使われたI have a Dream は何故か個人的なキラキラ輝くような将来の希望としてのAmerican Dreamの代名詞となって行きました。

American dream の概念はそもそもイギリスを始めとする迫害を受けていたプロテスタント系住民や貧困に喘いでいた移民がフロンティアスピリッツの掛け声と共に個人の欲望を載せた幌馬車に乗ってゴールドラッシュに沸く西部へ西部へと向かいます。(アメリカ人の好きなジョンウェイン主演の西部劇は正にAmerican Dreamそのものです)

行きつく先でほんの一握りの人々が金の採取や埋蔵していた石油の発掘等で巨万の富を得ました。しかしそこには土着の原住民であったインディアンを蹴散らし、奴隷制度を生み出し、貧富の格差を生み出した負の側面があった事は語られる事はありませんでした。

そして第2次世界大戦で完璧なまでの勝利を飾ったアメリカは1950年代にその絶頂期を迎えAmerican dreamは世界の人々の憧憬の的となりました。

人の夢と書き儚いと読む

この時期日本では戦後の復興から漸く立ち上がり人々がマッカーサー率いるGHQ直伝の自由、や個人主義を背景に少年期を過ごした人々から、豊かなアメリカそしてAmerican Dreamがその象徴としてもてはやされるようになり、夢という言葉はそれの持つ深い意味合いからかけ離れ、負の側面に目をつぶり一人歩きして行きました。

辞書に書かれている日本語の夢又は英語のDreamの本来の意味はこうです。

1.睡眠しているときに生じるイメージ、空想的な現象、そこから転じて、現実世界では起こりえない儚さ、頼りなのさ。

2.現実の在り方と違った将来への希望。

日本でも古くから夢という言葉が使われてきましたが儚い夢、夢想する、夢心地など人生の儚さを意味していました(ちなみに儚いという字は人偏に夢即ち人の夢と書く)。

例えば松尾芭蕉の(夏草や兵どもの夢の跡)という有名な句があります。藤原三代の栄華は儚い一抹の夢だったという寂しさと哀れさを句にしたためたものでした。

又戦国のスーパーヒーローであった織田信長が本能寺の変で思いもかけなかった明智光秀の謀反で倒れた時に謡ったとされる1節(人生50年下天のうちに比ぶれば夢幻の如くなり)天上世界の時間の流れに比べれば人の人生は夢や幻のようで命ある者は全て滅びてしまう。という意味です。

そうです。日本語には夢という意味に2番目の意味である将来への希望とか憧れという意味は含まれていませんでした。

しかし戦後のAmerican Dream への疑問の余地のない強い憧れそしてキング牧師の演説への正しい解釈がなされないまま、儚い夢、夢心地等という本来の表現は歌謡曲の世界にかすかに生き残る懐かしい言葉となり、むしろ夢はキラキラ輝く希望の代名詞として人々の善意の呼びかけとして頻繁に使われるようになって行きました。

日本語には夢よりも素敵な言葉がある

日本語には夢に替わる奥深い素晴らしい言葉があります。志(こころざし)です。但し夢と志には明瞭な違いがあります。

  1. 夢は快い願望だが志は厳しい未来への挑戦
  2. 夢は実現できない場合に時に夢だったと簡単に諦める事が出来るが志は計画と実行と長い辛抱が伴う厳しい心の中の戦い。
  3. 夢は個人的な願望だが志は社会的で回りの人を幸せにしたいという信念

世代を超えて多くの日本人に読み継がれている司馬遼太郎の小説には志という言葉が度々出てきます。志が人の心を揺り動かしその強い想いと果敢な行動が社会と歴史を動かして来たと小説をとうして我々に語り掛けているのです。

認識はわけしりを作るだけだった。

わけしりには、志がない。

志がないところには社会の前進はないのである。

司馬遼太郎 菜の花の沖より

志は塩のように溶けやすい。

男子の生涯の苦渋というのもその志の高さをいかに守り抜くかと云う所にあり、

それを守り抜く工夫は格別なものでなく日常茶飯事の自己規律にあるという。

司馬遼太郎 峠より

又北海道大学の初代教頭だったアメリカ人のクラーク博士の有名な言葉があります。

札幌農学校を去りアメリカに帰国する時の挨拶で生徒に語り掛けました。

少年よ 大志を抱け。(Boys be ambitious)

実はこの言葉には続きがあるのです。少年よ 大志を抱け。けれどお金を望み、利己的な望みや名声という浮ついた大志であってはならない。人としてあるべき姿を求める大志でなければならない。

日本語に夢と志があるように英語にもDreamとAmbition があります。辞書では次のようにあります。

意味
Dream Something one thinks about or hope.
Ambition Strong desire over a long period for success.

Ambitionは志という日本語とほぼ同じ意味合いがあるようですが一般的に日本人はAmbitious を野心的なという多少ネガティブな雰囲気を込めて使う人が多いようです。クラーク博士はさすがネイティブな英語をお分かりで日本語の志の想いを込めてBoys be ambitious と呼びかけて北海道の青年を励ましたのでした。

子供時代に大きな夢を持つ事は大変良い事であると思います。又大きな夢を持つようにと諭し伝える事とても大切な事だと思います。しかし夢は人の心の奥深い所にあり決して人に安易に言いふらすものでもなく、押し付けるものでもないのです。自己の心の中で育て昇華させていくものです。育て昇華させて行く過程で最も大事な事はその人の生き方への想いにあるような気がします。

志は、どこにあるのか

もう遥か彼方に去ってしまった昭和の時代に親や先生、近所の怖い叔父さん達から夢という言葉の代わりに、いろんな事を教わって若者は成長していきました。

  • 子供への慈しみの心遣いをもって、弱い者いじめをするな、お天道様に恥じない生き方をしろ。
  • 自分の事も大事だがもっと人の役に立つ事をしなさい。
  • 我慢、辛抱だ。
  • 成せば成る。
  • 七転び八起き、千里の道も一歩より、思う念力岩をも徹す 等

こうして親から又心ある大人から諭され、心に刻まれ、育まれた人の生き方、心根という最も大事な贈り物や伝承が幼い夢、未消化の希望にブレンドされ、発酵され、醸成されながら素晴らしい夢という素材が人のあるべき姿、強い信念、矜持という高みに昇華して行くものであると思います。

このエッセイの冒頭に紹介した相撲の貴景勝関もきっと両親や善意ある大人から薫陶を受け自らの厳しい修行に耐え彼の夢や希望は高みを極め遂に志に昇華されていったのでしょう。彼の夢や志は未だ頂上を極めていません。人のあるべき姿を追い続ける長い一本道の遥か先にその頂上があるのかもしれません。

最後に幕末の啓蒙家で松下村塾の塾頭であった吉田松陰が夢について語った一文を紹介してこのエッセイを締めくくりたいと思います。

夢なき者に理想なし

理想なきものに計画なし

計画なき者に実行なし

実行なき者に成功なし

故に夢なき者に成功なし

三原一郎