古池や蛙飛び込む水の音

『古池や蛙飛び込む水の音』

松尾芭蕉の誰もが知る俳句に組織を改革するための知見が詰まっていました。こんな解釈があったとは驚きました。

編集部

古池や蛙飛び込む水の音

松尾芭蕉の最も有名な俳句に―古池や蛙飛び込む水の音―という句があります。

俳句は学生時代に少し嗜んだ程度で深い観察眼はありません。この芭蕉の句は諸説があり、芭蕉は実際にその場所にはいなかった、蛙が水に落ちる時にはほとんど音を立てない、はたまた芭蕉は上の句だけを創作し下の句は弟子が繋いだ等です。俳句は受け取る側の感性によって解釈が異なり感銘を受ける事もありますが、全くイメージをつかめない人もいます。そこであまり感性豊かでない私が思い浮かべた絵画的風景描写のイメージと俳句の持つ心について思いのまま書き記してみました。

ひなびた人里離れた山村に深い森に囲まれ、森閑とした空気の中に由緒ありげな古刹である山寺がありました。山寺には苔むした石に雑然と囲われた古い小さな古池がありました。時たま吹き込む春から初夏に向かう涼やかな風に柳の木の葉が揺れ古池に小さなさざ波がたっています。その苔むした石に独り静かに座っていた白髪の老人がキセル取り出し一服しながら、ゆったりとした時の流れに身を委ねていたその時ポチャと小さな音が 微かに響き、アー古池に生息していた蛙が一瞬飛び出したと老人が思ったその瞬間、辺りが又静寂に包まれていったのです。

このエッセイは俳句の勉強会ではありませんので解釈の良し悪しを評価するものではありません。特に俳句に造詣の深い人はこんな解釈は人に聞かせるような代物ではないとご批判もあるかと思います。しかしこのエッセイでは敢えてこの句を書き出しの冒頭にして次の興味深いストーリーへ展開させるキッカケとしたのです。思いもかけない展開は皆さんへの次の質問しまから始めたいと思います。

古池や蛙飛び出す水の音

古池や蛙飛び出す水の音(飛び込む、が飛び出すに変わった)

皆さんはこの俳句から何かイメージできますか。

松尾芭蕉さんに怒られそうですが敢えてこのとんでもないフェイク俳句を解釈してみましょう。

この筆者は何を言いたいのかさっぱり分からない、ちょっと悪ふざけが過ぎるのではないかなどと思われるかもしれませんが、お時間のある方はあと少しだけお付き合いください。

ヒントは古池と蛙にあります。古池は濁って淀んでいます。長い時間をかけて変貌して風化した得体のしれない物が堆積しています。濁っているので池の中では何も見えない、外からの光も遮断されています。外界から遮断されて何も見えなくなり、重くのしかかった堆積物に埋まった暗闇の古池に何故か長く住み慣れてしまった蛙が生息していました。

蛙には有名な伝説があります。

茹で蛙 in 人間社会

蛙を熱湯の中に入れると蛙は驚いてすぐに飛び出してしまうが、ぬるま湯の中ではその環境に慣れ親しんでそのうちに茹で上がって死んでしまうという話です。アメリカの文化人類学者のグレゴリーベイトソンさんという人が科学的な実験ではあり得ない事でしょうが人間の持つ精神性を寓話として紹介したそうです。日本では特にバブル崩壊以後の景気後退、日本企業の危機が叫ばれていた頃論客と言われる人達が競ってこの寓話を企業衰退の警鐘として使いだしました。大前研一氏の田原総一朗氏が(茹で蛙、国家日本の末路)と題して共著を出し議論を巻き起こしました。日本人は平和ボケしている、イザ鎌倉となったら、すっかりぬるま湯に漬かりきった軟弱日本男子は役だたずなんていう事を盛んに吹聴していましたが、ここでは国家の末路等と言う大袈裟な話題には触れません。寧ろ我々が属して又我々を支えている身近な企業、団体が古池状態になっていないか、または我々自身が茹で蛙になっていないか立ち返って考えてみたいと思います。

古池は濁って淀んでいます。長い時間をかけた老廃物が堆積しています。淀んで何も見えません、外からの光は一切はいりません。外界から全く遮断された状態なのです。

茹で蛙組織

そうです危機状態にある企業や組織はまさに老廃物が堆積した古池状態なのです。

老廃物の体積:一部の経営陣によるあらゆる有機物、無機物(人、モノ、機械、制度、ルール、教育、風土、風、空気、心)は長い年月をかけて腐食、劣化していきます。ものの劣化は測定等の科学的根拠に基き判定ができますが制度、ルール、風習、醸し出す空気感、人の心等の劣化は科学的根拠で判定ができません、すべて人が判断します。その人の判断は人の心の状態に大きく作用されます。心の劣化つまり傲慢、怠惰、劣等感、過度の依頼心、過度な安定神話、疑心暗鬼、疲労困憊等の状態での判断は危険極まりなく、人を又は組織を一本の細いタイトロープの上を歩かせ事になります。

物や、機械は一定の決まり事に従って維持管理即ちメインテナンスを施す事によりその性能を一時的に引き延ばす事が出来ます。あるいは新規購入して性能の高いAI付の新型を導入する事で効率を大幅に向上させる事が出来ます。

人が作り上げる制度、ルール、風土、空気感等の劣化はそう簡単にはいきません。計り知れない、制御困難な人の心の在り様によって維持管理、メインテナンスされるので人の在り様によっては正しく維持管理され何処にも不具合がないと測定され当然のことながら改善、改革というつまり全く新しいソフトの新規導入は先送りされ、やがてとてつもなく錆びついた陋習として無意識的に護持されていきます。

長期に固定化され陋習がはびこった組織での制度、ルール、風土、空気感は老廃物が堆積し古池状態なります。古池に慣れ親しんでしまった茹で蛙は日光東照宮の見ざる、言わざる、聞かざるという不作為による心の劣化、怠惰を生み組織の古池状態に無意識的に手を貸して行く事になります。

茹で蛙からの脱却

しかし時代の新しい風が吹き出し古池にもさざ波が立ち始める頃にはさすがの茹で蛙も何か変化を感じ出してきました。そんな時が熟した頃に大きな外圧や内部告発により時計の針が動き出していくのです。江戸300年の長い歴史はペリーの来航という外圧と長州の吉田松陰、薩摩の島津斉彬等の啓蒙思想家による意識改革や西郷隆盛、坂本龍馬等の改革の志士の登場が内部告発となり破壊と改革が断行され長きに渡る古池状態の組織が解体され維新が成し遂げられました。人々は茹で蛙から脱皮して新しいは時代の先駆けとなっていきました。

経営不振に陥った会社では長く培われてきた風習、制度、ルール等が足かせとなり老廃物が堆積されているにも関わらず経営陣の自己保身と頑迷な管理体制より組織を固定化していきます。世の中の大きな変化にも拘わらず厳しい稟議制度、長時間の会議、何も決まらない小田原評定を繰り返しています。人々はそんな状態を無意志的に受け入れ、結果的に又心の安定を求める茹で蛙達は組織の更なる停滞そして崩壊の兆しに手を貸していきます。この会社の古池と茹で蛙に新風と新しい命を吹き込むためにはペリーの外圧と内部告発を敢えて行う勇気ある幕末の志士の登場を待つしかありません。

組織の垢に染らない、客観的な思考と将来を見据える慧眼と最も大事な何事にも屈しない胆力を持ったリーダーシップ(改革の志士)の登場が必要なのです。彼は古池に大きな石を投げ込みます。君たちの乗っている舟は今やタイタニック号です。船上で優雅に舞踏会等を開催している時間はないのです。今舟は氷山の上に乗って沈没寸前です。目を覚まそうと警鐘を鳴らし意識改革を呼びかけます。頑固で自信満々の年期の入った古株役員やその部下から猛反対を受けますが屈せずに呼びかけ続けます。すると一部の若い幹部候補生らしき部長がおずおずと小さな石を投げ込み始めました。それを見ていた一部の課長共がアーあの小心者の部長が行動し始めた、あの人が行動するのだから、もしかしたらこの新参者の親分は正しい事を言っているかもしれないと小さい勇気を振り絞って次々に小さな石を投げ始めました。新参者のリーダーが古池に投げた大きな石で浮かび上がった波紋と自信なさそうに同調した一部の人達が投げた小さな石の波紋が次々に繋がり合いやがてあの老廃物で凝り固まった古池に大きな波紋とうねりが広がりエネルギーが爆発していきました。

古池に起きたエネルギーの爆発で茹で上がり瀕死の状態にあった蛙がびっくりして古池から飛び上がってきたのです。古池や蛙飛び出す水の音となったのです。

新参者のリーダーと目覚めた一部幹部、更に古池に安住していた蛙達が蘇り組織に新鮮な空気が広がり透明性を取り戻してきました。停滞から変化、変化を生み出す小さな勇気、小さな勇気も波紋の繋がりで大きな変革が生まれた瞬間でした。変化への小さな勇気、自分を変える勇気が生み出した改革でした。変革は一人の偉大なリーダーのみでは決してなしと頑強で凝り固まった陋習という抵抗の壁は厚く、高くどんな異端で強烈なリーダーでも打ち破る事は出来ません、茹で蛙から目覚めた人々の意識改革と心からの理解と勇気ある行動無しでは成就できないのです。

もちろん彼らの新たな試みは一過性で終わる事はありません。さらに時代が変化し又時の流れを経て組織も人も入れ替わり劣化、目覚め、改革そして又劣化を繰り返しながら人の営みが営々として続いていくのです。しかし異端のリーダーと無名の人々が成し遂げた勇気ある行動は物語、風土、社風となり語り継がれついには伝説として護持されていきます。

日本には長い風雪に耐えて尚活気ある会社として生き続ける社歴200年企業、100年企業が数多くあります。そこにはその長い歴史の中に異端のリーダーと無名の戦士たちの物語があり人々に語り継がれ時代の変化に対応しながら細胞分裂を繰り返しながら、意識改革と組織の活性化図っていく語り継がれた知恵の伝統があったのでしょう。

三原一郎